早稲田大学春秋会新春の集い
時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は春秋会の活動にご協力いただき厚く御礼申し上げます。下記の通り新春の集いを開催致しますのでご通知申し上げます。なお当日の講演には元早稲田大学総長の西原春夫先生を講師にお招きしてご講話を賜ります。皆様のご参加をお待ち申し上げます。
日 時 : 平成25年 2月 9日(土)午前11時より
場 所 : 大隈会館301・302号室
講演会講師 : 元早稲田大学総長 西原春夫先生
会 費 : 5,000円
また、新春の集いに先立ち、当日の午前10時00分より「紺碧の空」歌碑に献花を行います。ご都合のつく方は大隈会館前「紺碧の空」歌碑前にお集まり下さい。なお、出欠については同封の返信ハガキにて平成25年 1月31日(火)までに返信の程お願いいたします。
お問い合わせは
早稲田大学春秋会事務局 TEL 045-242-3521 FAX 245-241-8768
~秋の墓参会報告~
平成24年9月29日(土)、強力な台風17号が接近するも、本州上陸前日のおかげか夏日の晴天に恵まれた。今回はいつもと順序を変えて、音羽護国寺前に10時30分で集合し、朝一番に大隈先生の墓所清掃と参拝。落ち葉を掃き、雑草を抜き、水をまいて榊を供える。晴天の下、整列して参拝し、校歌斉唱。その後徒歩で雑司ヶ谷へ移動し、ほぼ正午に都電停留所近くの蕎麦屋「甲州屋」で昼食。小一時間、涼しい部屋で食事をとり、ゆっくり休んで午後は雑司ヶ谷霊園へ。「都の西北」作曲者の東儀鐡笛、「紺碧の空」作詞の住 治男を墓参。ごみを拾い、水をまき、花と線香を供えて校歌と紺碧をそれぞれ歌う。墓参終了後は腹ごなしに霊園内を散策。安部磯雄をはじめ、著名人の墓所をいくつか寄り道。隣の停留所の鬼子母神まで歩き、そこから都電に乗って終点早稲田へ移動。総務課で大隈先生墓所倉庫のカギを返却したあとは、稲穂にて懇親会。九月も末なのに30度まで気温が上がり、汗だくの墓参会だった。
参加者(あ順敬称略) 伊藤哲子、大石和礼、小高俊久、関 雅行、高原 孝、中西新一、野中信男、松田三郎、諸江昭雄 (大石和礼記)
~中野正剛先生祥月命日墓参報告~
今、この墓参記事を書くにあたって些か気も筆も重い。中野正剛先生の生涯を偲べば数日先に迫った国政選挙の軽薄極まりない代議士候補、理念に乏しい政党公約に言葉も無い。それを承知で10月27日(土)多磨霊園で行われた中野家、春秋会有志の「中野正剛先生祥月命日墓参」報告を取り纏めた。
多くの日本人にとって、墓参とは単に故人を偲ぶだけではなく、墓前で手を合わせ故人に恥じることの無い生き様を誓う礼式だと自分は思う。正剛先生の自栽は昭和18年10月27日、その一週間前の21日に特高数名に連行され取り調べを受けたが不起訴、25日東京憲兵隊に連行されるも地検思想部の調書は「流言蜚語罪」、この罪では現職議員の身柄拘束は出来ないと解釈され26日に釈放されたが、警視庁玄関先で再度憲兵隊に連行され、憲兵下士官の監視の下自宅に帰り、27日午前零時に自栽された。
21日は世に知られた神宮外苑競技場(現、国立競技場)で雨中の学徒出陣式が挙行された日である。遡れば1882年(明治15年)10月21日は、東京専門学校の創立日、今年は早稲田校友の稲門祭・ホームカミングデーの日でもあった。この10月は不思議な縁の続く月日であったと思う。扨て、27日の墓参日は薄曇り、東京六大学野球早慶第一回戦の当日、墓参の出足を危惧していたが、何と中野家と春秋会を合わせ15人(昨年は16人)の方々に集まって頂けた。
中野正剛先生の4人の男子は皆旅立たれたが、今回は四男泰雄氏の長男、正道氏(現在エジプト在住、早大家系の中で数少ない慶応義塾卒、エジプト学者)が夫人と里帰り参加、幼い頃、父泰雄に連れられ祖父の墓参りに来たことがあるが,腹を切ったと聞いて怖かったと思い出話、更に正剛先生存命中の書生であった白石敏彦氏が先生生前のユーモア溢れる思い出話に胸が詰まった。春秋会では、松田三郎会長代行、憂国の士南丘喜八郎氏、千葉から駆けつけた(千葉稲門会)藤原忠夫氏、初参加(武蔵野稲門会)中根康雄氏、中島姉妹、守屋孝、小林聖子の面々、南丘氏の檄が飛び、ジャーナリスト中野正剛に相応しい墓参となった。何時ものことながら三男故達彦氏夫人房子さんの凛とした佇まいはさすがに大宰府出身名門をうかがわせるものであった。供花、焼香を終え、松田、藤原、私は「平和な時代の早慶戦」に向かった。(諸江昭雄記)
~秋季東京六大学野球早慶戦応援報告~
平成24年10月27日(土) JR信濃町・午前10時集合
当日は中野正剛先生の御命日にあたる。長い約束事でこの日は墓参と春秋会の決まりである。
秋の早慶戦、第一日、すでに法政が優勝一位。早稲田は二位ではあるが、慶応に勝たねばならぬ訳がある。春の早慶戦でくたびれる試合をし、慶応に負けながら、全日本学生野球で優勝し、提灯行列を「稲穂」の前、ノンアルコールのスコールで意気あげ、後々までの語り草になった。「紺碧の空」の作詞家・住氏の姪御さんの娘さんの、お子さんに夜のキャンパスで出会い、夜空にとどろく「紺碧の空」を歌い上げた。
さてさて、今回、伊那の春秋会の仲間の川手氏がお出なさるとの事。私、9時台にJR信濃町改札口に。松田三郎会長代行、諸江昭雄氏がすでに多摩墓地に馳せ参じていることなので、野球担当としては、勝利の美酒のため、JR信濃町アトレ内の「ジョン・万次郎」に特別席を依頼、そのためのコンタクトをとる。このところ、年々歳々、年をとられ、戸塚大先輩をはじめ、坂東能道副会長が入院中とか。かつて学生席で大いに応援なさった春秋会員が半分になっている。それぞれの事情は仕事があり、健康状態にとつながる。
この春、秋、早慶戦の学生席で観戦できることは「春秋会」のひとつの既得権として有難いことと思っている。石田明人氏の陰の力に感謝し、感激もしている。学生時代に戻れるのは夕闇迫る、早慶の校歌が流れていく景色である。此の場に立ったものでなければ頂けぬ至福の刻である。ストレート勝ちの早慶戦「当然」であったが、今は勝ち負けということよりも、私の時代の早慶戦、石井連蔵さんの力投、広岡、小森の三遊間、枝村、松岡、森の打力のすごさときりがない。
終了後、その足取りの慣れは、JR信濃町アトレ「ジョン・万次郎」で気持ちよく飲み食い、大いにしゃべりまくり、亦々「青春」を語る。墓参を終え、松田三郎会長代行、諸江昭雄氏が野球中葉から参加して下さった。 (伊藤哲子記)
参加者(敬称略あ順) 青木宏衛、伊藤哲子、川手弘昭、小太刀昌雄、小林聖子、坂木文雄、柴田親宏、須川弘之、高橋 弘、高原 孝、野中信男、松田三郎、松原邦博、諸江昭雄、守屋 孝 以上15名
~第111回秋季大会の報告~
平成24年11月4日(日)午前11時 大隈会館301・302号室使用
講演 南丘喜八郎(月刊「日本」主幹) 『甦れ日本』 壇上にすっくと立たれた氏は旧制高校生の面差し。あるいは血気に逸る青年士官とみる。
しかし、その本質は一線も二線も異なる漢である。常の春秋会会合と異なる集まりを見る。日本の現状への不満、不安を氏の講演からヒントを頂き、胸のつかえを晴らしたい願いをもって馳せ参じているのである。
氏の持つカリスマ性に男のロマンを希求する人々が多い。が、私は氏の中に解決出来ない涙の壺が胸にあると看做している者である。御本人の語るエピソードとして、われらが「稲穂」で無銭飲食にならないために、一年住まわせて頂きラーメン作りを手伝ったなど具体的に青年の日の「生活」が見える。
新宿名物ママの「利佳」で、すれ違ってはいたが常連であった。酒を一滴も飲まぬ私と大いに飲んでいた氏を眦をあげ、不満を抱いて生きている氏を危なさを哀し愁いを感じていた。が、いつか忘れていた。
今、此処に「春秋会」の中で、深い部分で同志的な要素、見出せたのは、歳月と年齢のなせる効である。
早稲田大学春秋会講演内容
一 薩長藩閥政府をクーデターで追われた大隈は、反政府、反権力の砦として早稲田を建学し、立憲改進党を結成し、報知新聞を創刊した。反逆者製造のための学校だった。
二 東京専門学校の早稲田大学への変更は大学令の改正により専門学校から文部省監督下の大学になってから。これに反逆したのが尾崎士郎だった。「人生劇場」執筆は国家の管理下に入った大学への激しい抗議が動機原点だった。
三 早稲田は幾多の政治家を生んできたが、大学令改正によって私学は模範国民を養成する(将官ではなく下士官養成所になり下がった)学校になった事により天下国家を治める気概を失ってしまった。この結果、近年では竹下登氏、森善朗氏、小渕恵三氏などの首相を生んだが、彼らは結局、権力(匿名の権力者たる官僚)の下僕に過ぎなかった。唯一の例外は石橋湛山だろう。石橋は早稲田を放校になった尾崎士郎の庇護者だった。
四 石橋は占領下、吉田内閣の蔵相となり、当時の国家予算のほぼ30%を占めていた米軍経費の大幅削減を求めるなど、徹底してマッカーサーと対決する気概を示した。だが、マッカーサーの下僕である吉田にパージされ、公職追放となる。この石橋はサンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を果たすや、鳩山の後継として首相の座に就き、独立国の総理大臣として米国従属の姿勢を根本から見直そうとした。僅か二か月余で権力の座から追われる。独立自尊の実践が如何に困難な事かを思い知らされる。
五 以降、日本の世代円周は米国の支配下にあって、米国の顔色をうかがい、彼らの僕(しもべ)となっている。早稲田はその建学の精神を以って、日本独立の先頭に立つべし。 以上
石橋湛山先生に対する熱愛を具体的にサークル化し、ひとつの研究会、具体的に申せば私が十年練って少しずつ堀を埋めて人々に助けてもらい、校友稲門会に属す事が出来た稲門連句会俳諧「西北の風」のような、一から分かりやすく語り合う「湛山会」を作ろう!と呼びかける事が氏の中心としての今回、講演会の大切なところではないでしょうかと、僭越ながら提案いたします。 (伊藤哲子記)
参加者(敬称略あ順) 青木宏衛、赤間礼子、安藤良男、安楽明郎、石川洋三、石田明人、石橋直幸、伊藤哲子、猪爪まさみ、猪之原菖子、大石和礼、大久保尚節、大田武志、大野富士生、小川光治、川崎大八、木村裕一、菊池一郎、君和田久夫、小高俊久、小太刀昌雄、後藤臣彦、坂木文雄、重満武和、末広 崇、春原興治、関 雅行、高橋 弘、高原 孝、武田淳史、土倉享一、出川達郎、戸塚孝吉、中里 隆、中西 剛、中村哲三、並木隆史、野中信男、信井文夫、初谷幸一、長谷川弘、廣本 敦、堀口昌信、松島和夫、松田三郎、松原邦博、三木一郎、南 隆、南丘喜八郎、森木 亮、諸江昭雄、安井 緑、山口雄次 以上53名
~関東大学ラグビー早慶対抗戦~
雨模様の秩父宮で、平成24年11月23日14時5分にキックオフ。雨のせいなのか両チームともにボールが手につかずミスの目立つ立ち上がり、しかし早稲田は幸先よくWTB中靏くんが先制トライ。その後はペナルティも多く一進一退が続きなかなかチャンスを点に結び付けられない。挙句はインターセプトから慶應にトライを奪われる。前半終了間際にSO小倉君がドロップゴールを決め、前半は10対10で終了。慶応のアタックは随所に工夫は見られるもののいかんせん決定力不足。早稲田の後半戦のFW&BK一体となった頑張りに期待する。後半、雨が小降りになる中で、早稲田は中靏くんが2トライを重ねた。特に自陣に攻め込まれたところで、慶応のパスミスから切り替えしたトライは勝負を決めるものであった。最後は終始安定したモールからFL金君がトライ。31対10で無事早稲田の勝利となった。SOのキックなど内容的には不満が残るものの、まあー今日は早稲田が勝利したのでこれで良いのだと、参加メンバー有志は懇親会会場の信濃町ジョン万次郎へ急いだのである。 (松原邦博記)
参加者(敬称略あ順) 大田武志、川崎大八、柴田親宏、重満武和、関 廣義、関夫人、高原 孝、武田淳史、谷内隆衛、並木隆史、松田三郎、松原邦博、諸江昭雄 以上13名
~2013年・箱根駅伝応援のお知らせ~
新春恒例の箱根駅伝は、正月二日例年通り往路「華の2区」権太坂上で応援します。素質のある素晴らしいメンバーが揃い、優勝を期待しています。
日 時:平成25年1月2日(月) 午前7時30分(時間厳守)
集合場所:早稲田大学春秋会事務局(JR桜木町駅下車・徒歩5分)
参加申込 早稲田大学春秋会事務局 横浜市中区野毛町2-90桜木町スカイハイツ506
早稲田大学春秋会事務局 TEL 045-242-3521 FAX 245-241-8768
高原孝幹事長 090-4948-7309
集合後、事務局前よりタクシーで応援現場に直行いたします。また、直接現地へ行かれる方はJR保土ヶ谷駅よりバスを利用、権太坂上で下車。徒歩5分坂を上がります。沿道に「がんばれ早稲田」の横断幕と「早稲田大学春秋会」のノボリが多数立ててあります。
~春の墓参会のお知らせ~
恒例となりました春の墓参会、午前の部は東京谷中霊園周辺で石橋湛山先生、来島恒喜、小野 梓先生を墓参。午後の部は音羽護国寺の大隈先生の墓所に午後2時頃到着予定。墓参後は稲穂にて懇親会。墓所清掃も行いますので、服装は軽装にてお願いします。なお昼食の予約がありますので、参加申し込みは下記へ開催1週間前の3月30日までにお願いいたします。
集 合:平成25年4月6日(土)・午前10時30分・JR日暮里駅南口改札
参加費用:2,000円(午前の部花代、線香代、移動交通費、昼食代です)
※集合場所の日暮里駅南口改札は小さな改札です。
北口の大きな改札口ではないのでお間違えの無いようご注意下さい。
参加申込:大石携帯TEL 090-7220-5954